BEYOND TOKYO

王 超冉 / オウ チョウゼン / CHAORAN WANG

BEYOND TOKYO

2026.3.24 (tue) – 3.29 (sun)

Open 12:00 – 19:00



日本に来てから、青春18きっぷを使って移動することが多くなった。
特別な理由があったわけではない。ただ電車に乗り、降りて、また次の電車に乗る。それを繰り返していただけだ。都市から地方へ、地方からさらに小さな駅へ。駅名は次第に覚えきれないものになり、降りる人の数も少しずつ減っていった。窓の外を流れていく風景は、いつの間にか「見るもの」というより、「通り過ぎるもの」になっていた。
そうした移動の途中で、日本の地方が目に留まるようになった。
それらの場所は、突然なくなるわけではない。何か大きな出来事が起こるわけでもない。ただ、長い時間をかけて静かに後ろへ下がっていく。店は閉まり、田畑は人の手を離れ、家は今もそこにあるのに、生活だけが抜け落ちている。地図の上では確かに存在しているのに、現実の中では、触れられないもののようになっていく。
運転免許を取ってからは、電車では行けない場所にも行くようになった。
撮影に向かう先は、夜になると灯りがほとんど消えてしまうことが多い。宿がない場所では、車の中で眠る。後部には機材があり、助手席には翌日の道が残っている。風が車体を揺らし、遠くで何かの音が聞こえる。その時間は、特別に不安というわけでもなく、かといって落ち着いているわけでもない。昼間に見た空き家や道、田畑の風景が、静かに身体の中に戻ってくる。
風が通り、建物の輪郭が残り、理由のない空白がある。
使われなくなった痕跡や、時間の重なりが、目立つことなく、そこに留まっている。どれかが強く主張するわけではなく、すべてが同じ距離で並んでいるように感じられる。
写真の中には、いくつかの断片が残る。
それは地図に似ているけれど、行き先を示すものではない。時間の途中で、置き忘れられたものに近い。色よりも、先に目に入ってくるのは光の具合や形の重なり、そして少しずつ自然の側へ戻っていく気配だった。
ときどき、自分は風景を撮っているのではなく、何かを確かめているのではないかと思うことがある。
それは、まだ完全には消えていない、という状態だ。写真は、何かを残すためのものというより、立ち止まって確認するためのものなのかもしれない。世界が動き出す、その少し手前で。
私はただ、そこに立って、見ている。
それだけだ。


王 超冉 / オウ チョウゼン / CHAORAN WANG

2000年 湖州生まれ
2023年 南京伝媒学院写真学科卒業
2026年 専門学校東京ビジュアルアーツ写真学科 卒業見込