The flowers and a nap

趙宸 / チョウシン / Zhao Chen

草花と居眠り / The flowers and a nap

2025.2.25 (tue) – 3.2 (sun)

Open 12:00 – 19:00


子供の頃、訪れた場所が自分の世界の全てだった。そして自転車などに乗れるようになってから世界が急に広がった。しかし、成長するにつれて、そういう感覚は徐々に薄れ、にぶくなってしまった。ある日、日本の田舎を訪れたことで、再び子供の頃の気持ちが呼び起こされた。



趙宸 / チョウシン / Zhao Chen

1998年、中国上海出身。2021-22 年にファッションカメラマンとして上海で活動、東京ビジュアルアーツ写真学科に在学中。2023年、T3 STUDENT PROJECT に参加。2024年、グループ展「刻下の瞬き」にて作品「草随風靡」を展示。DNP企画展「∞(Infinity)2024」にて作品を展示。


草花と居眠り

 車窓に映る景色が明暗を繰り返し、外の風景が白黒のブロックから緑豊かな郊外へと変わっていく。私は列車の中で半ば夢見心地で座っている。久しぶりにこのような感覚を味わっている。まさにこれが私の一番好きな瞬間であり、夢の端をそっと歩くような、静かで無頓着な感覚、まるで手のひらから滑り落ちそうな感じ。

 これが私を幼い頃に引き戻した。当時の上海にはまだディズニーランドもなく、線路脇に高い防音壁もなく、長距離を走るのは主に緑色の列車だけだった。その頃、私の家と駅は一本の道路を隔てていただけだった。バルコニーに上がり、手すりにもたれると、びっしりと敷かれた線路が見渡せた。一両一両の車両がゆっくりと目の前を通り過ぎていった。時には父が、時には母が、そして時には僕自身がその中にいた。私はしばしばぼんやりとそれを眺め、これらの列車が乗客を別の世界へ連れて行くのを想像していた。

 私はずっと、列車に乗ることは一種の時空旅行だと感じていた。ドアを通り抜けた先に別の世界があった。ディーゼルエンジンの大きな音がそれを疑う余地も与えなかった。おそらく、時空旅行のドアをくぐる時、いつも神経が過敏になり、緊張しているのだろう。少し色あせた座席に座り、窓の外の風景が後ろに流れ始めるのを見ると、ようやく心が落ち着き、窓の隙間から吹き込む小さな風に迎えられて、目を閉じて眠りに落ちるのだ。私はそうやって寝るのが好きだった。うとうとしている間、夢は尽きることなく、家のバルコニーにいる僕、到着した列車から降りた時の風景、そして大人になった自分を夢見ていた。

 気が付くと、私自身も他の人々と同じように、時間を切り分ける能力が自然に身についていた。自分を二つの地点に置き、最短距離を選び、行き来するための軌道を整備できるようになっていた。技術の発展に伴い、交通手段は多様化した。私は多くの場所を訪れたが、もう時空旅行はしなくなった。以前の記憶、その時空旅行のドアが本当に存在したのか、私は疑問に思うようになった。

 列車が到着し、駅に降りると、少しぼんやりした感じがした。田んぼをゆっくり歩き、小道を通り抜け、ただ足の赴くままに歩いていると、時間の境目も曖昧になった。畑の草は風に揺れ、斜めからの日の光が木々や葉のすき間から降り注ぐ。庭で花を摘んでいるおばあさんが私に何をしているのかと尋ねた。時間はまるでそよ風のように彼女の髪を撫でて過ぎていくようだった。私は彼女と一緒に花畑に入り、草花が僕のふくらはぎに触れ、落ち葉が足元でカサカサと音を立てた。彼女は花を摘みながら、私のさっきの思い出を、時空旅行のドアが本当に存在するのかという疑念を聞いてくれた。「もしかしたら、ドアは今でも存在しているのかもしれない」とおばあさんは言った。「ただ、あなたが気づいていないだけで。もしかしたら、あなたはすでに別の世界にいるのかもしれない。」