Mark up for the day

田 凱 / Den Gai

その日のための印 / Mark Up For The Day

2022.8.2 (tue) – 8.7 (sun)

Open 12:00 – 19:00

かれこれ2年も経っている。出張が急遽キャンセルになり、ルーティンの仕事も一時休むようになった。家に閉じ込まれるような日常の中、時間の存在そのものさえ忘れてしまうような不安気に襲われた。使わなくなったフィルムに嫌気性細菌を仕込んで、光線も空気も入らない箱に入れて寝かせた。日常の刺激を積み重ねてこそ、時間の経過は確認できるが、自宅が幽閉区間になり脳みそがゲル状になったとさえ思った。菌を培養させてフィルムにその痕跡を残させた、不穏な時に、私の無意識下で流れていく時間の欠片を集積してくれるだろう。2年以上経っても数が減らないいま、事態を明けたととても言い難いが、もう緊急というそんな日々に縛られたくないだろうから、仕込んでいたフィルムを出す時期かもしれない。  

    出来上がったものは、腐蝕された区域とそうでない区域が、互いに溶け合い、浸透し合い、明確な輪郭もなく、相互に外在化していく何らかの傾向もない、数で表せることがなく質的な変化の連続で他ならない。測れない時間を物質へと変換する試みだ。まだ完結していない事実、むしろたえず変化されつつある運動の拡がりを表すために、質的な変化のつながりを用いようとした。この一定した時間を空間のなかへ投影し、外側が相互影響することなく連続線ないし連鎖という形態を執る。  

    では、私が計測したかった継起の時間はいったいなんだろう。日常の刺激は、等質に感覚として捉えることはほとんどない。現在のありようと先行するありようを分離することを差し控える、または欠陥を補填しようとするその時、時間を意識してしまい、現実へ参加してしまう。意識は、現実を代わりの記号に置き換え、記号を通して現実を知る。このように翻訳させられ、繰り広げられる。一般社会で生活する私が、特に言語空間に適合するので、意識もその方を好み、少しずつ根底的私を見失っていく。2年余りという時間、自宅幽閉らしき事実を知って、以前のような日常に戻れることは大抵ないであろう。